よみもの館


日高山脈の隠れた展望台
     〜北戸蔦別岳の幸運

『新ハイキング』92年7月号

 はっきり言って私は運がいい。昨日は雨だったのに今日は雨じゃないし、山 頂にはしっかり立てて、予定よりも2時間も早くついてしまうし、それについ た時は何にも見えなかった景色が、2時間ばかり待ったら舞台の幕が上がるよ うに雲がとれてすっかり晴れ上がったのであるから。まったくこんなに運がい いのは日高に熱を上げるようになってから初めてなのだ。だいたい私の中にあ る日高のイメージは、たいがいいつでも分厚い灰色の雲をまとっているかなり 無愛想な奴、というものであるから、こんなに素直に歓迎されるとちょっと拍 子抜けというか、もうちょっといじめてくれてもいいけど、などと思ってしま う。本当にいじめるのが好きな、サドスィックな山であることは、私が日高と 出会ったときからバレてしまっているのだから、今ごろ下手に出たって何にも 出やしないのだ。

 Kという人がいる。この人物は某山岳会で知り合った山の経験十数年の玄人 である。彼は日頃口癖のように「静かな山に行きてぇー」といっては、誰も聞 いた事のないような山へ日参している。
 私がまだ山を始めてまもない頃であるから5,6年前の暑い夏の盛り、この Kに連れられて行ったのが日高山脈ピパイロ岳。ところがこれが運のつきで、 生まれて初めて6リットルもの水とテントを入れた重さ30kgの巨大ザック を背負わされたのだからたまらない。ピパイロ岳はおろかその前衛峰である伏 美岳までたどりつくのがやっと。無理矢理Kに引き摺り上げられ、伏美岳の山 頂についたときにはへびのようにぐにゃぐにゃになっていた。もうこのときは 記憶喪失状態にあったのでよくわからないが、Kによれば天気はいいとは言え ず、雨こそ降らなかったが雲が渦巻いていてピパイロ岳も少しの間しか見えな かったらしい。
 それから2年。悪魔のような日高を遠まきにして日々精進の山行がつづき、 それでも一応なんとか30kg程度の荷を背負って4,5日は歩けるようにな った。そして再びKとピパイロ岳に挑戦したのである。
 このときもやはり荷は重かったのであるがすでに2年の修行を終えている身、 「どうだ」といった感じで威勢よく伏美岳の山頂に飛び出した。だが何もない。 すっかり雲のなかで何にも見えないのだ。それでもめけずにピパイロ岳に向か って歩きだした。ところがその晩、途中のコルにテントを張ったはいいが、な んと台風が猛スピードでやってきて、我々はあっというまに下界へと吹き飛ば されたのだった。

 そのピパイロ岳と伏美岳が二人寄り添いながら、「わたしたちそんな悪人じ ゃありませんよ」といった顔をしているのである。私はそれを晴ゆく日高の空 をバックに見つけたときには、「フフフ、いたな」といった含み笑いを思わず したのであった。それからおもむろに北戸蔦別岳の山頂に立つと、日高日高と いいながらも未だに目的の峰にたどり着けなかったここ2,3年の苦汁を噛み しめ、しかしKと一緒にこの山頂で思いを一つに出来なかったことを少し心の わだかまりとして残しつつ、バッチリと記念写真を撮ったのである。
 7月の下旬、急に4日の休みが取れることになり、ふとした思いつきでこの 日高山脈北部に聳える北戸蔦別岳へ私はやってきている。もっとも実際は移動 日を入れて3日でコンパクトに済ませるはずであった山行も、エゾツユの名残 か景気のよい雨に出会って一日まるつぶれ。今朝は雨こそ上がっていたものの 低く垂れ込めた雲のために麓から北戸蔦別岳の頂上はまるで見えなかった。案 の状、山頂付近は狂ったように吹きすさぶ霧の中で寒いったらありゃしない。 「さみぃー」と叫びながら時折切れる雲の隙間に念力を注入し待つ事2時間。 ついに「夏山enjoy」に辿り着いたのだった。

 そんなわけで記念写真を撮り終えた私がピーカンの空のもと、試合の終わっ たボクサーのようにヘナっと山頂の石に座り込んだのも無理はない。
 ポカポカと暖かくなったためか人慣れしていないキタキツネが一匹どこから か現れ、頭から尻尾の先までピンと伸ばし音も立てずにカールのハイマツの海 を渡っていく。「おぅー」と思わず感嘆の声が轟く。南の大きな戸蔦別岳の頂 に怪しい人影が僅かに見えただけで、北はピパイロ岳へ遥かに続く日高国境稜 線には人っこ一人いない。夏休みだというのにこの静けさ。
 「やっぱ、北の山はいいなぁー」と相手が日高であることも忘れて優しくな ってしまった。
 1時間ばかりだれもいない山頂でとっておきのコーヒーを片手に、猿山の猿 のごとくあちらこちらを見回って歩き、いわゆるマーキングを済ませる。
 そろそろタイムリミット。「かえろ」と思う。
 羆に追われるように荷をまとめて恨めしいピパイロ岳には一瞥も加えずヌカ ビラ岳へと続く花のプロムナードへと身を委ねる。ヌカビラ岳は1807mだ から中部日高にしたら立派な一峰。北戸蔦別岳とヌカビラ岳の間は短いながら も日高の縦走といった気分。おまけにこれでもかこれでもかと極彩色の花畑が、 唯一の観客である私の方に摺り寄ってくる。道幅も狭いので、ちょっとばかり 花を踏んでしまったかもしれない。
 尾根の左側には独立峰的な幌尻岳がほれぼれするような姿で立っていて、北 カールから落ちる沢のキラキラと絹のような煌めきが眩しい。まさしく至福の 時だ。これでこそ日高の苦労は報われるのだ。報われない山行なんていやだと いいながら、日高とつきあっていく以上これは必要悪のようにつきまとってく るんだろうな。だからせめてこの一瞬間でもこの時を楽しみたい。
 北に1967m峰のゴツゴツした岩峰や北戸蔦別岳のなだらかな山姿、鋭鋒 戸蔦別岳と大きな幌尻岳を目に焼きつけておく。
 ヌカビラ岳の名前の由来となった岩の間を縫ってダケカンバの中の急下降と なると、展望もこれとともにきっぱりと終わってしまう。まことに日高らしく てよいが、あっさりしすぎなんだよな、と文句を一発かましてからさっき登っ てきた急坂をジェットコースターのように降りる。登りとは全然周りの風景が 違って見えるのも日高らしい。
 このコースは途中に元気水という日高としては珍しく水場の設備があるのだ から驚く。もっとも設備といっても塩ビのパイプと小さな水受けがあるだけ。 ところが誰が忘れたのかこの水受けの中に古そうな未開封のピーチネクターの 缶が冷えたまま残っているのだ。思わず100円置いて飲もうかと思ったけれ ど、どこかのだれかが、「おれのネクターが…」といって悲しんだりするとい けないと思って止めておいた。
 ここをすぎると尾根道は溜めていた息を吐き出すように一気に沢へ向かって 突進することになる。笹をかき分けて飛び出したところが二ノ沢の左岸。この 沢はやさしいけれど、ブシッュが多くてルートファインディングに苦労する。 オレは沢屋じゃないと気どって、沢靴なんか持ってきていなかったから登山靴 のまま登ってきたけれど、やっぱゴム長ぐらい持ってくれば良かったと思った。 「沢屋になれずに日高に登れるかーっ」とKに怒られそうだ。
 踏み跡は沢の上流では右岸を、下流では左岸におおむねついていて、函状の 地形になると二岐沢との出合になる。ここからは左岸沿いにかなり明瞭な踏み 跡があるので、見失わないように歩いていく。ブッシュがだいぶやわらいで古 い林道跡を行くようになれば林道までもう少し。林道に出たところには国定公 園を示す看板があるだけで、道標のようなものはない。登るときは迷ったけれ ども、ほぼ2万5千の地形図通りだ。あとはくねくねと林道のなすがままで、 車の置いてある二岐沢出合へと向かった。

 愛車の白い鼻がちょこっと見えるとこの山行もエンディングのクレジットが 流れ始める。「よう待ってたのぅー」と思わずなでなでしながら、束の間の愛 車との感激の再会にひとしきり浸るのであった。

(3年7月28日歩く)

《コースタイム》
チロロ川二岐沢出合=70分=二ノ沢出合=60分=尾根取り付き=120分=ヌカビラ岳=40分=北戸蔦別岳=30分=ヌカビラ岳=120分=二ノ沢出合=70分=チロロ川二岐沢出合

〈地図〉20万=夕張岳
    2万5千=ピパイロ岳,幌尻岳

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